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先生というのは、どんな分野においても大切な存在 1/2


以前、カルロス・ポメダ先生に、初心者の疑問をぶつけて「ヨガ、哲学、瞑想は、信じなくてもよいのです」という記事を掲載したことがありました。(「スタジオ・ヨギーのある生活」「ヨギー・マガジン」)それを読んだ読者の方から、<「ヨガとは何か?」という答えが時代によって違い、個人が自由に感じることを「ヨガである」と言えるならば、ヨーガの学びに、先生が必要ないのではないですか?>という質問をいただきました。

カルロス先生は、そんな質問にどんなふうに応えてくださるでしょうか。

読者の方からの質問と、ヨガ哲学と、アーサナ、瞑想がそれぞれがどんなふうに関わっているのか、いまいちど質問してみました。



1.「ヨガとは何か?」という答えが時代によって違い、個人が自由に感じることを「ヨガである」と言えるならば、ヨーガの学びに、先生が必要ないのではないですか?

先生というのは、どんな分野においても大切な存在です。世界の各文化も、世代から世代へその知識を引き継いできたのが先生で、その存在なくして文明化はあり得なかったのです。

ヨガも同じです。自分たちでヨガ全体について新たに掘り起こすより、先生から学びを受ける方がずっと有効です。さらに、ヨガ講師はとても重要な役割を果たします:生徒個人が持つプライドや恐れなどの特有の内面的な障壁を克服するために効果的に働きかけるのです。そして多くの場合、そういった困難(個人が抱える障壁)は、自分では見えづらいものです。

2.「伝統を知れば、「ヨガとは何か?」という問いの答えが時代によって違うとわかる」とありますが、その伝統というのは、なんですか?

この文脈での「伝統」は、何世紀にも渡り登場したすべての多様なヨガのシステム、様式を意味しています。言い方を変えると、ヨガの歴史のすべてと言えます。



3.どの聖典に、時代によってヨガの意味が異なると書いてあるのでしょうか?

紀元前5世紀ごろから中世期の後半の間に、文法の本から初期の出典物、解説本にいたるまで数多くの聖典があります。例えばパニーニが書いたアシュタディヤーイではヨガを“yuji samādhau”と表現し「ヨガとはサマーディである」と説明しています。パタンジャリもまた彼自身のヨガスートラの解説で同じ言明をしています。一方バガヴァッドギータ(2章48節)ではヨガを“samatvaṃ yoga ucyate”「ヨガとはバランスである」と定義しています。しかしその後16世紀ごろのハット・ハヨガの本では「個としてのSelf(真我):ジヴァアートマンと至高のSelf:パラアートマンの結合」と定義しています。

これらは異なる時代に於けるほんの2,3の例です。実際に歴史を通じて幾多のヨガの定義が存在しています。

4.哲学と瞑想はどのような関係にあるのでしょう?

ヨガ哲学は、瞑想の働きや、瞑想の際に私たちがどうすればよいのかを理解するためにとても重要です。ヨガ哲学は、瞑想の内的世界を旅する際の道しるべとなる地図のようなものです。



5.ひとりでヨガ哲学の勉強をしようとすると、本を読むだけでも難しくて行き詰まってしまったり、考えすぎてわからなくなったりしてしまいます。

という問いに対して、カルロス先生は、「私の先生は、自分のハートにぴたっとくる練習方法、勉強方法をまずひとつ選びなさいと教えてくれました。自分の好きな方法をメインにしながら、他のものに触れるようにするといいのでは?」とおっしゃっています。

ヨガ哲学の勉強には、どんな勉強方法の種類がありますか? また、効果的な方法はありますか?
アーサナのプラクティスを繰り返しおこなうことと、仲間をもつこと、というのをそのとき挙げていただいていますが、それ以外にありますか?


主な勉強(svādhyāya)の方法論はヨガトラディションの中でも最古のテキストであるウパニシャッドに紐解かれています。その方法論は注意深く読むことに始まります。そしてテキストや教えを繰り返し沈思すること。その意味を考えるだけではなく、それらの教えを実行すること。最終的に瞑想の実践は不可欠です。瞑想中での静寂の中で教えの真髄が経験となります。これら3ステップの学びをサンスクリット語でシュラヴァ―ナ(聴くこと)、マナーナ(熟慮)、ニディディヤーサナ(瞑想)と表現されます。

自分一人で勉強することが容易くないと感じるのは自然なことでしょう。そう意味では教師を最も必要とします。と同時に、忍耐力も必要です。本やその中の教えは漠然としているかもしれません。しかし忍耐強く理解しようと努めれば本の内容が少しずつ浮き彫りになります。これは最も素晴らしい経験で「なるほど!」という閃きが内側から起こるのです。

そして二つ目の質問の答えとして、私はリトリートが最も効果的だと考えます。リトリートではある期間、学びに没頭できる環境(スマートフォンなどから離れるなど)なのです。そのような持続性のある実践で最も効果があるでしょう。

後編:アーサナの実践と哲学はどのように結びついていますか? につづく

来たる7/2~7/17、スタジオ・ヨギーOSAKA(梅田)、福岡、新宿WEST、名古屋にてカルロス・ポメダ先生によるワークショップを開催

2017年7月 カルロス・ポメダ先生来日 ヨガ哲学と瞑想 講義スケジュール

カルロス・ポメダ Carlos Pomeda 哲学講師 アメリカ在住。スペイン、マドリッド出身。U.Cバークレー校でのサンスクリット、U.Cサンタバーバラ校での宗教学の各修士号を取得。40年以上に渡り伝統的ヨガを学び、実践している。18年間サラスヴァティの慣例に沿い、僧侶名スワミ・ギータナンダとして過ごし、そのうち9年間はインドで伝統的な修行、実践を行う。この時期に様々なインド哲学の研鑽を積み、ヨガの修行に没頭した結果、上級僧侶となり、世界中から訪れる何万人もの生徒たちに瞑想や哲学を指導を行った。 現在、世界中で、ヨガの叡智(Wisdom of Yoga)やそれに関連する内容の様々なリトリート、コース、セミナー、ワークショップ、レクチャーを行なっている。

幅広い知識とその伝え方の明晰さで、受講生に人気の高いヨガ哲学講師である。伝統的なインドヨガに対する情熱、洞察力、ユーモアを持ち、受講生と深くつながることができ、明確で意味深く、現代に適応しやすい方法で、経典の最も深い教えを伝えることができる。